「言葉に真実は無い」という言葉に対する僕なりの真実
言葉に真実は無い。
と良く言われるが、
その言葉が存在することによって、
その言葉が表している状態から逆に
遠ざけているという真実があると思う。
さて、今回は完全にふと思ったことをそのまま書いているので、
途中よく分からない部分があっても理解しようとしないでください^^;
ただ、もし同じようなこと、違う視点の考えがあるいる人がいたら語りましょう!!
そんな感じで見てもらえると嬉しいです!
冒頭の話の続きで、例えば
■「幸せ」という言葉があることにより、世の中は本当の幸せの像(それぞれが思う幸せ)から、自ら遠ざけているのではないか。
■「楽しもう!」と思った途端、
本当の楽しみは得られ無いのではないか。
そして、同時に今楽しんでいないということを認めることになる。
それと似て
めっちゃ幸せ!!最高!!!!
という言葉は日頃から幸せな人は使わないだろう。
幸せであれば、いちいちめっちゃ幸せ!!!
と言う必要は無い。
もっとリアルな例で言うと
「100万円稼ぎました💴!!」
と札束をSNSにUPしてる人をたまに見かけるが、
もし、例え100億円持ってる人はそんなことするだろうか?
※自分たちが100万円持っているとして、100円をUPするようなもの。
多分、その人の体験上100万円稼いだことが無いor少ないからこそ、
強い刺激を受け欲が出て、発言(投稿)に現れるのと似てると思う。
要するに
「幸せ」という言葉が、自ら「幸せ」を遠ざけている。
「幸せ」という言葉があることによって目指す「幸せ」の基準ができる。
基準ができ、「幸せになろう!なりたい!」ということに意識を置いてしまう。
幸せに意識を置くと、逆に幸せから遠ざかってしまうのではないか。
■初デートで緊張して、デートする、自分をよく見せるということに意識を置いてしまい本来のありのままの自分を出し切れない。
■大勢の前で発表する時、緊張で発表に意識を置いて本当に言いたいことが言えなかった。
このような体験に似てると思う。
※僕だけかもしれないが笑
「幸せ」という基準を設けてしまうと、
その基準に達してい無い時に劣等感を感じてしまう。
逆に「幸せ」の基準に満たしていると感じる時には、その刺激に慣れた時により強い刺激を求めるようになり、
基準を満たしずらくなり、結果的に幸せという基準を達しずらくなってしまう。
人間は得ることより失うことへの抵抗が大きいので、一度幸せの基準を満たしているからこそマイナスの落差に、より劣等感を感じてしまう。
幸せの対象の言葉である「不幸」についても同じように考えてみた。
「不幸」という言葉が、世界の中で不幸から遠ざけているのか?
これは逆で不幸という言葉があるからこそ、「不幸」という認識、基準ができ自分が思う不幸になってしまうと思う。
「不幸」という基準を設けてしまうと、その基準を満たした時不幸に感じる。
逆に不幸の基準に満たしていない時は、不幸には感じ無い。
むしろ「不幸」という文字が頭によぎることが無いと思う。
意識して
「幸せなりたい!!」
「幸せになろう!!」
と思わず、ありのままに自然に生きる。
これがもっとも「幸せ」になっている状態だと思う。
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斉藤